このブログは、40代 iSpiritsリーマンが「 なんとなくスピリチュアル的」なことに関してつづっています。
ベロニカ・アリ(Veronica Porché Ali)を知っていますか?
ムハンマド・アリの第三番目の妻です。
ムハンマド・アリ
簡単にムハメッドアリについて書いておきます。
1942年モハメド・アリはケンタッキー州の看板書きで生計をたてた父カシアスと母オデッサとの間にカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニアとして生まれました。
アフリカ系米国人だが、イングランドとアイルランドの血を引いています。
1954年(当時12歳)アリ少年は黒人バザーにでかけて自分の自転車を盗まれた。
公会堂の地下で若者たちにボクシングを教えていた警察官に盗難を届け、その警官に「強くなりたけりゃ、ボクシングをやれ」と言われジム通いを始めたそうです。
「黒人だから」とうけた差別も、「ボクシングで強くなれば変わるだろう」との思いからだったとアリは言っています。
ローマオリンピックで獲得した金メダルを投げ捨てる
1960年ローマオリンピックの代表に選ばれライトヘビー級の金メダルを獲得したが、
帰郷したケンタッキーで人種差別を受け悔しさから金メダルを川に投げ捨てたそうです。そして、当時、アフリカ系アメリカ人が公民権の適用と人種差別の解消を求めて行った公民権運動にクレイもマルコムXらが所属するネーション・オブ・イスラム(黒人のイスラム運動組織。
イスラム教に入信
イスラム教から派生した新宗教)に入信し、リングネームをモハメド・アリに改める。1975年にイスラム教スンナ派に改宗している。
1976年には来日してアントニオ猪木と格闘技世界一決定戦を特別ルールで戦い、引き分けとなっている
生涯合計4度結婚しました。
1977年:アリ2人目の妻であるベリンダ・ボイドと離婚
1977年:アリ3人目のポルシェと結婚
1986年、アリとポルシェ離婚
3番目の妻ベロニカ・ポルシェ・アリ
ポルシェは、1955年12月16日にカリフォルニア州ロサンゼルスで、
ルイジアナクレオール系のエセルとホレス・ポルシェとの間に生まれました。
彼女はルイジアナ州ラファイエットのホーリーロザリーカトリック寄宿学校に2年間在籍し、その後カリフォルニア州ロサンゼルスのエコーパークに戻りました。(Wiki)
モデル・女優
ポルシェは若い頃、モデルや女優として活躍していました。
18歳のときにアリに会い、約9年間結婚しました。ポルシェは、「テロのアルカトラズ」や「フリーダムロード」など、映画でいくつかの小さな役を演じる機会を得ました。
ポルシェとアリは2人の娘(ハナ、ライラ)に恵まれました。
ベロニカの娘 レイラ・アリ(Laila Ali)
アメリカ合衆国の元プロボクサー。
WBC女子スーパーミドル級初代チャンピオンを獲得したが、このスーパーミドル級の初代王者決定戦が、2005年6月11日のマイク・タイソン復帰戦で前座として行われ、WBC1位にランクされていたレイラは、同じく3位のエリン・トーヒルと戦い、タフィルをコーナーに追い詰めて精度の高い連打を浴びせ、3ラウンド1分59秒でTKO勝ちし、初代王者となった。
父親に負けず劣らずのビッグマウスであった。夫は元(San Francisco 49ers)NFL選手のカーティス・コンウェイ(Curtis Conway)
過去にハルク・ホーガンとも交友があったようで、ライラアリが、ホーガンに電話をかけ、命を救ったと述べています。彼の息子ニックが深刻な自動車事故を起こし、彼が自殺を考えていたことを告白しました。