フランスの田舎料理の影響を受けたケイジャン料理
<スパイシーな味わいと心のこもった料理で知られるケイジャン料理>
18世紀にフランスからカナダへの移民が政治的な理由でカナダを逃れた後、米国南部ルイジアナ州に落ち着き発展した料理スタイルです。
フランスの田舎料理の影響を受けたとされるケイジャン料理は、何世紀にもわたる文化の影響と地理的変化に適応し母国を離れて暮らす移民によって変化してゆきました。
<ケイジャン料理>
<伝統的なフランスの田舎料理>
フランスの田舎の伝統的な農民スタイルのレシピは、ニンジン・ジャガイモ・玉ねぎは必需品ですね。
フランス領カナダへ移民したアカディア人
<アカディア人とは北アメリカで最初のフランス人入植者でした>
アカディア人とはカナダ沿海州に居住したフランス系入植者たちのことで、アカディアとは現在の、ニュー・ブランズウィック、ノヴァ・スコシアおよびアメリカのメイン州の一部を含む地域の古い呼び名であるそうです。
彼らは1600年代初頭にカナダに移住し(現在の大西洋岸)、すぐに利用できるもので暮らしていました。*1
しかし、1755年にイギリスクラウンへの忠誠を誓うことを拒否したとき、14,000人を超えるアカディア人が国外追放され、その多くはルイジアナ州に向かったそうです。
ケイジャン料理の登場
アメリカ南部に定住したフランス系カナダ人の食材の変化
ルイジアナ州(アメリカ南部)に定住すると、これらのフランス系カナダ人の農民は再びアカディアナ地域で手元にあった食材に彼らの料理を適応させたようです。
「ケイジャン」という言葉は、現在のニューブランズウィック、プリンスエドワード島、ノバスコシアからなるカナダのアカディア地域に定住したフランス人入植者を表すために使用された「レアカディアン」という用語に由来し、レアアカディアン→アケイディアン→ケイジャンと変化してできあがった呼び名だそうです。
彼らの料理は、カナダ沿岸州などの北大西洋で見つかったロブスター、サーモン、タラではなく、ルイジアナ近くのメキシコ湾で獲れたカニ、カキ、ワニ、ザリガニ、
エビ、ナマズなどを含むように進化したそうです。
ルイジアナ州南部の4つの地域は ケイジャンが定住し、それぞれが異なる食料資源とそれぞれの土地がらで影響力を持っていたそうです。
1)堤防と大湾:ラフォーシェとテケ/Lafourche and Teche
2)大草原:アタカパスインディアンの土地/Attakapas Indian land
3)湿地:アチャファラヤ盆地/Atchafalaya Basin
4)沿岸湿地:ニューオーリンズ地域とホーマ/New Orleans area and Houma
聖なる三位一体のケイジャン料理
誰が最初に「聖三位一体」という言葉を使ったのかわかりません。タマネギ、セロリ、ピーマンをがケイジャン料理の三位一体というそうです。
「聖三位一体」という用語は、
神、イエス・キリスト、聖霊を「聖三位一体」と呼ぶクリスチャンの信仰ですが、
料理のエッセンスにこのHoly Spiritsを照らし合わせたのでしょう。
・刻んだ唐辛子、タマネギとセロリの組み合わせ、クレオール料理の聖なる三位一体と呼ばれていた
・他の調味料は、大量の刻んだピーマン、タマネギ、セロリの長時間のゆっくりした調理に依存します。ケイジャン料理の聖なる三位一体。」
1981年に米国でニューヨークタイムズの記事。
ケイジャン料理とクレオール料理
ケイジャン料理
田舎風フランス料理の元となったアカディア人の料理にルイジアナの土着の食材をまぜたもの。
おさらいになりますが、
「ケイジャン」という言葉は、現在のニューブランズウィック、プリンスエドワード島、ノバスコシアからなるカナダのアカディア地域に定住したフランス人の入植者を表すために使用された「les Acadians」という用語に由来します。
1700年代初頭のアカディア地域のイギリス征服により強制撤去させられ、最終的に今日アカディアナとして知られるルイジアナ州の沼沢地に定住しました。
アカディア人は南ルイジアナの平地、湾と野生のゲームをメキシコ湾に近いことと組み合わせて、真にユニークな郷土料理を作り出しました。
そして、アカディアナ居住者の多くは、ネイティブアメリカン、ドイツ語、フランス語、またはイタリア語のルーツを持っていますがこれらの生活様式がケイジャン文化とゆうごうしてケイジャン料理となりました。
ほとんどの料理は、フランスのミルポワ*1をベースにした野菜のメドレーで始まります。
「ミルポワ」という言葉は1~1.5cm角のサイの目に切ることを指すそうです。
ソースベースに使う野菜は、この大きさに切って炒めて使いますが、ポイントは大きさを均等にすることです。均等でないと、「小さいものは先に焦げ、大きいものにはまだ火が入ってない」状態になり、ソースの味に影響してしまうとのことです。
「ケイジャン料理の聖三位一体」は、玉ねぎ、セロリ、ピーマン(にんじんではなく)を利用して、多くの料理に風味のベースを提供しています。
クレオール 料理
地元の食材をベースにさらに古典的なヨーロッパのスタイルへ向かったようです。
富裕階級の庇護のもとに洗練された都市文化の産物であったことなどもあるようです
「クレオール」という用語は、フランスの植民地時代のルイジアナ州、特にニューオーリンズの開拓者のために生まれた人々の人口を表しています。
18世紀には、クレオールはフランスとスペインを統治した上流階級の子孫で構成されていました。長年にわたって、クレオールという用語は、アフリカ系のネイティブ生まれの奴隷や色の自由な人々を含むように成長しました。
通常「フレンチ・クレオール」という用語はコロニーで生まれたヨーロッパの祖先の誰かを表し「ルイジアナのクレオール」という用語は混合人種の祖先です。
アフリカ系アメリカ人のマシュー・ノウルズと、ルイジアナ・クレオールの祖先(アメリカインディアン、フランス人の血を引く)を持つティナ (Tina) との間に、長女として誕生。フランス領ルイジアナとのゆかりからフランス系の名「ビヨンセ」と命名される
クレオール料理は、いくつか例を挙げれば、イタリア、スペイン、アフリカ、ドイツ、カリブ海、ネイティブアメリカン、ポルトガル語を含むニューオーリンズのさまざまな文化のブレンドです。
クレオール料理は、ケイジャンと比べて少し額が高いと考えられています。
伝統的に、裕福な社会人の台所の奴隷が食べ物を準備しました。
時間とリソースが豊富なため、料理はさまざまな地域のスパイスとクリーミーなスープとソースで構成されていました。
たとえば、約12種類の成分からなるレムラードソースは、ケイジャンのキッチンでは一般的に見つかりません。タルタルソースなんかも一部だと思われます。
クレオール料理は、エキゾチックな食材にアクセスしやすく、料理に貢献したさまざまな文化が混在しているため、クレオール料理はもう少し多様です。
そのため、ケイジャンジャンバラヤではなくクレオールジャンバラヤでトマトを見つけたり、バターと小麦粉で作られたクレオールルーと油と小麦粉で作られたケージャンルーを見つけたりすることがよくあります。
共通点
「聖なる三位一体(Holy Trinity)」(料理のベースとなる、タマネギ、セロリ、ピーマンを炒めたもの)や使用する食材はケイジャン料理と漠然と似ており、
ガンボやジャンバラヤなどの料理は両者に共通しています。
引用ウィキペディア
*1:ニューブランズウィック州、ノバスコシア州、プリンスエドワード島の海事省、カナダ大西洋岸、セントローレンス湾州。ニューファンドランドとラブラドールで、彼らは大西洋の州を形成しています。フランスの期間中、この地域の大部分はアカデ(アカディア)として知られており、ユトレヒト条約(1713)によってイギリスに割譲されました。
*1:フランス語で「香味野菜」を意味するフランス料理の用語で、二通りに使われています。スープやソースのベースとなる野菜の総称。玉ねぎ、にんじん、セロリをまとめて「ミルポワ」と言います。玉ねぎ、にんじん、セロリ等をバターと白ワインで炒めて作る本格スープベースのことを指します。野菜本来のおいしさを引き出し、スープにまろやかなコクを与えます。ソースなどに使う場合には、玉ねぎ、人参、セロを、3:2:1の割合で使います。フランス料理店では、この3種の野菜は大量に使います